ぶらり、大山 〜大山の不思議と素敵を語る〜
[第9回]夢まぼろしの峰 大山と大雪山(北海道)
130年前、"夢まぼろしの峰"と小泉八雲が大山のことを表現しましたが、同じ時代、北海道の中央にそびえる連山に同様の印象を持って(筆者の想像ですが・・・)、大雪山と名付けた松原岩五郎という人物がいました。岩五郎のふるさとは米子市淀江町。幕末から明治維新の動乱のなかで幾多の経験を重ね、ジャーナリスト(国民新聞社の記者)、小説家として身を立てた人物です。
1890年代、開拓がカタチになり始めた頃の北海道にしばしば訪れ、紀行文を「太陽」などの出版物に寄稿しました。その中で北海道の最高峰「大雪山」の名前を与えたとされています。北海道という名がつけられて今年(2018年)で150周年ということで話題になっていますが、当時はまだまだ開拓が進まず和名の地名がない場所も多かったようです。大雪山もそれぞれの峰はアイヌ名があり、現在でも"~ヌプリ"といった山名が使われていますが、山塊全体についてはどうだったのでしょう。あったのかもしれませんが、「北海道」のようなわかりやすい和名を時代が求められたのだと想像できます。そこで岩五郎の紀行文の中で表現した「大雪山」がその雄大な風景に馴染む字面であり、響きであったことで広く使われるようになったのではないでしょうか。岩五郎が雪を被った雄大な山塊に出遭った時、子どもの頃に親しんだ大山を重ね合わせ、ふるさと大山のカタチに似ているということ、いつも雪を被っているということで、大山の「大」と「山」の間に「雪」を入れて、『大雪山』と名付けたのではないかと云われてきました。
確かに、大雪山を望む地(美瑛の展望台など)に立つと、その想いは間違いないだろうと頷いてしまいました。
確かに、大雪山を望む地(美瑛の展望台など)に立つと、その想いは間違いないだろうと頷いてしまいました。
同時代に生きた小説家二人、八雲と岩五郎のバックグラウンドは大きく異なりますが、両人にとって大山は心に刺さった"夢まぼろしの峰"であったことでしょう。
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