ぶらり、大山 〜大山の不思議と素敵を語る〜 大山開山1300年祭 特別コラム

[第3回]日本刀のルーツはここにあり

‚大山開山1300年祭 大山開山、日本刀のルーツはここにあり

鉄の惑星

私達、人類にとって、いや全ての生き物にとって鉄は大変重要な存在だということが、様々な場面で言われるようになりました。人の身体はもとより、ほとんどの動物(生物)には血液が流れていますが、身体の隅々まで酸素を運ぶのは血中の鉄分の役割でもあり、鉄なしには動物は生きていくことができません。

また、ほぼ全ての植物も同様で、植物たる由縁でもある光合成をする際には鉄が必要であることも知られてきました。光合成では、エネルギーを作っていますが、この働きは葉緑素で行われています。この葉緑素を窒素栄養から作る際に、鉄が必要で、鉄がないと葉緑素が作れなくなり、光合成もできなくなってしまいます。植物は陸上だけでなく、海の海藻や植物プランクトン(海の食物連鎖の根幹)も同じ仕組みです。鉄分が少ない海は生き物が大変少なく“海の砂漠”と表現されるくらいです。

この背景は、地球の成り立ちにあります。地球を構成している元素の中で最大の重量比を持つものは鉄で、なんと重量の3分の1を占めています。地球は水の惑星などと言われますが、これは地球表面の7割を水が覆っている事を重視した言い方であって、重さでみれば地球は「鉄の惑星」なのですね。

 

製鉄の起源

空気や水と同じで鉄(鉄分、鉄イオン)の存在は、人類に意識されることもなく、自然のこととして地球上にありました。人類の進化に伴って道具を使い始めるに至り、自然界の鉄塊(隕石という説も)に偶然出逢い、のちには人類の意思で鉄塊を作ること、そして道具として加工することを開始しました。そのルーツである最初の鉄器文化は、紀元前15世紀ごろにあらわれたヒッタイト(現在のトルコ、アナトリア高原)で始まったとされています。 
そして時を経て、タタール人(ダッタン人※モンゴル高原などで活動した遊牧民)が技法を中央アジアに伝え、さらにその技術が朝鮮半島を経て日本に伝わったと云われていますが、このタタールが「たたら製鉄」の名前の起源という説もあります(諸説あり)。

ちなみに、現在開催中のサッカーワールドカップ(ロシア)で、日本代表チームがキャンプ地に選んだのがタタールスタン共和国の首都カザン。この国は、名前の通りタタール人が多く住んでいるということです。2015年にはこのタタールスタンから「たたら製鉄」との関係を研究に同国科学技術庁が島根県に視察団を送り込んだニュースがありました。タタールと縁を感じますね…。

 

日本の鉄のルーツ

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大山山麓に広がる弥生時代の遺跡・妻木晩田遺跡では200点超の鉄器が出土しています。それらは、朝鮮半島や北部九州の特徴を持つ農工具や武器ということです。ちなみに、当時は日本では鉄生産は行われておらず、もっぱら朝鮮半島から鉄素材や加工品が輸入されたということです。日本での鉄生産(初期のたたら製鉄)は五世紀頃から始まったとされています(諸説あり)。

明治時代、政府の富国強兵政策推進にあたって、製鉄業こそが近代国家の基盤ということで、「鉄は国家なり」と言葉がありましたが、弥生時代も同様だったと表現してもいいかもしれません。何より重要な農業・稲作における開墾、作業などには、鍬や鋤など鉄の道具があることで格段に生産性があがります。鉄を支配した首領が国邑(こくおう)を治めたことは間違いありません。

6世紀以降、鉄生産(たたら製鉄)は全国で行われましたが、優秀な鉄はどうやら伯耆の国を中心にした地域で生産されたようです。平安時代初期の9世紀には伯耆国から調、庸として鉄鋌や鍬を中央に差し出した記録が延喜式(平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則))にあり、また1073年から20年間に東大寺封物として4340鋌 もの鉄を全国の中で伯耆国のみ差し出していることが平安遺文にあります。平安時代の伯耆国は日本を代表する一大製鉄地であった言っても間違いありませんね。
近年、山陰道建設の際の発掘調査で、大山北東部の東伯耆で22か所もの農具など生産する鍛冶遺跡が発見されましたが、高速道になった部分の地面だけでこの数ですから、全体では相当数の鍛冶場があったことが想像できますが、これも関連がありそうです。

 

日本刀のルーツ

大山開山1300年祭 大山開山、日本刀のルーツはここにあり

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数ある日本刀(太刀)の中で、特に名刀をいわれる「天下五剣」のうちの一振り「童子切安綱」は東京国立博物館に所蔵され門外不出となっています。日本刀の世界では神の域にあるとも云われ、最高の刀と表現されるほど。現在、日本刀に萌える“刀女子”を中心に全国的に日本刀ブームとなっており、この「童子切安綱」に心を寄せるファンが急増しているようです。海外でも日本刀のファンは多く、世界的にも注目されつつあります。ファンの方々は、解説書を読んで刀の来歴を学び、博物館に行って光り輝く実物をうっとり見つめる日々をおくっているとか・・・。ちなみに「童子切」とは物騒な号ですが、凶賊退治の名刀が酒呑童子伝説に結びついたものと考えられています。
 
この名刀のルーツを探っていくと、大山と大山を抱き込むように流れる日野川地域との深いつながりが浮かび上がってきます。太平記(1370年頃成立)では「伯耆国会見郡の大原五郎太夫安綱という鍛冶が一心清浄の誠で鍛え、時の将軍・坂上田村麻呂にこれを奉じたものだという。」と記述されています。伯耆国会見郡は大山の西域一帯で、日野川水系が会見郡と言っても過言でありません。実際の場所(大原)については諸説あり確定できませんが、大山の山麓を含む日野川水系のどこかであったことは間違いありません。
日本刀で特徴的なのは反りと鎬造(しのぎづくり)。刃を外周として弧状(弓形)に反らし、さらに強度を損なわないように刀身の背側にあたる棟に沿って小高い線の鎬(しのぎ)を通してデザインされました。実に軽く、振り回しやすいということですが、この革新的な反りのある日本刀を考案したのは安綱ということですから、当地は日本刀のルーツであることは間違いありません。
 

 

日本刀考案の背景

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この高度な技術、デザインの発明の背景に想いを寄せてみると・・・、まず、1)日本刀の素材になる優秀な玉鋼(たたら製鉄のみで造ることができる)がこの地域にあったこと。 2)このカタチの日本刀の需要があったこと。(求める人、組織があったこと) 3)この新しい発明、技術を支える何らかのサポート(物心ともに)があったこともポイントになりそうです。当時、大山寺が隆盛していた時代でもあり、この寺院勢力が関わったのでなないかとも想像できます。4)絶妙な反り(弓形)の発想のきっかけは、もしかしたら弓ヶ浜半島ではないか…。大山中腹から見下ろした下界の風景の正面には、きれいな弓(反り)を描く半島があり、それを見て発想したのではなかろうか、とも。当時は、今のように幅が広くなく細い半島で、カタチは太刀にそっくりだった。なんていう想像も出来なくもない。ということで、弓ヶ浜半島の望む大山の山麓が日本刀の発祥地、ルーツだった!?とワクワクしてきます。

時代を遡り…、神々が国造りをした出雲神話の時代、たたらの川・日野川の源流域の船通山(鳥髪山)ではスサノウノミコトが八岐大蛇を退治して、尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ;後の草薙剣 で、天皇の三種の神器のひとつ)を取り出したと古事記には記されています。この剣は、もしかしたら鉄だったのでは・・・。なにしろ、ここ鳥髪の地は「たたら製鉄文化圏」の中心地。今でも山麓の日刀保たたら(奥出雲町)では、日本刀のための素材“玉鋼”を作ることを目的に“たたら製鉄”が全国で唯一営まれています。こうした歴史的背景を勘案すると、日本刀のルーツは日本で最も優秀な鋼が生産できる日野川水系の大山山麓だと言えそうです。

ちなみに、たたら製鉄の技術は過去の遺産ではありません。その技術は、現在の「日立金属安来工場」に引き継がれ、磨かれ、世界一のシェアである帯鋼(カミソリの刃などの素材)などを生産しています。このほかにも世界の最先端の技術を支える素材として、さらに未来を切り開く素材として世界中から注目をされています。日立金属安来工場のある島根県安来市は古代より鉄の積み出し港として大変栄えた町で、工場はその港の入り口付近の埋め立て地に建っています。

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大山山麓の至宝展

この夏、7月29日から8月26日まで米子市美術館で特別企画展「大山山麓の至宝」が開催されます。この企画展では平安時代の刀工・伯耆安綱が打った太刀3振り(文化庁の重要文化財、東京国立博物館の重要美術品等)に加え、春日大社で発見の平安期の日本刀「古伯耆物」も展示されることが決まりました。最古級の日本刀で、安綱作ではないかとみられています。1000年の歴史を経ての凱旋展示になる企画展には、全国から多くの日本刀ファンが訪れ、話題になるのは必至。

東京国立博物館所蔵の国宝「童子切安綱」は門外不出で、ふるさと展示は実現出来ませんでしたが、同じルーツとみられる兄弟刀がふるさとに帰ってきます。是非、1000年の歴史をその目で確かめてください。一生ものになるはずです。


(BUNAX)

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