ぶらり、大山 〜大山の不思議と素敵を語る〜
[第7回:スペシャル寄稿(結城 豊弘氏)]
大山開山1300年にワクワク・大山の魅力を再発見
読売テレビ報道局 兼 制作局 チーフプロデューサー
結城豊弘氏
鳥取県境港市生まれ。鳥取県東京事務所戦略アドバイザー
番組「ウェークアップ!ぷらす」「情報ライブ ミヤネ屋」の制作・取材を担当し、現在は「そこまで言って委員会NP」の制作担当。PHP雑誌VOICE「西南、南西、テレビ風」コラム連載、雑誌中央公論「この役者ええやん」、山陰中央新報「羅針盤」連載、雑誌正論「シネマ異聞」連載など、地方創生やブランディング、テレビメディア論、映画評論を寄稿。
大山の景色はずっと私にとって日常だった。私の生まれ故郷、日本海一の良港として栄えた鳥取県境港市。境港から大山は、そこにあって当然の景色。生活の一部だった。起床して学校に行く時も大山は景色の中にあった。夕暮れの中海から見る大山のピンクに染まる神々しい姿。釣りをしながら美保湾の先に堂々と立つ大山の姿も忘れられない。ボーイスカウトの仲間たちと毎年恒例だった大山キャンプ。博労座近くの旅館でのスキー客相手のアルバイト。小学校6年生の遠足で初めて山頂まで登り、辛い脚の痛みも吹っ飛んだ頂からの大パノラマ。家族と何度も笑ったバーベキューや栗拾い。今はいない祖母との森や林でのキノコ狩りの記憶。父と語り合いながらボートを漕いだ湖。スキーに登山に観光。生きること、自然の尊さ、怖さ、四季の美しさと人と歴史の深い交わり。友情、努力、忍耐、希望、畏敬。全てを教えてくれた大山は、ずっと生活の一部だった。大学進学が決まり境港を去る時も大山は力強く、そびえていた。
ただちょっと残念なことがある。東京で「だいせん」と正確に読めない人の多いこと。2015年11月から16年5月のJタウンネットの調査によれば、「大山」の文字を目にしたら多くの人が各地にある「おおやま」のことだと思うだろうと指摘する。結果は、全国調べで「だいせん」が68.8%、「おおやま」が33.2%。しかし、私は個人的には、この数字は東京ではもっと「おおやま」よりな気がする。東京には板橋区に庶民的商店街で有名な「ハッピーロード大山(おおやま)」のある大山(おおやま)もあるし、神奈川には「丹沢大山(おおやま)国定公園」もある。同調査は東京都では64.4%が一応「だいせん」と回答したとしているが、標高1729メートル「大山隠岐国立公園」の「大山」を「だいせん」としっかり覚えてもらいたいと強く思う。
大人になって、また頻繁に大山を訪れるようになった私にとって、また違う大山の魅力が広がっている。都会に住み様々な経験をした今だから感じる大山の魅力と楽しみ方もあるとしみじみと体感する。今年は大山開山1300年祭が行われ、特別なイベントも多い。自分にぴったりの楽しみ方を探しに「だいせん」を皆さんに訪れてほしい。そして故郷に帰ったら「だいせんは楽しかった」と伝えてほしい。必ず「だいせん」とね。